名前、呪文、ファッション

もう6年ほど前の話だ。婚姻届を提出するために妻と地政事務所に訪れた時、いかにも外国人慣れしていなさそうな窓口の係員が、面倒そうにこう言ってきた。

「あんた、これ、日本の名前でしょ。台湾にはこういう名前ないから。台湾人らしい名前にしないと受け付けられないよ」

確かに昔はそうだったらしいが、少なくともぼくたちが結婚した時には法改正されており、そのままの名前で登録できるようになっていたはずだが、恐らく彼女はそれを知らなかったのだろう。だがそれを指摘しても係員は折れる気配がない。こういうことが台湾では往々にしてある。「電話で確認した時は大丈夫と言っていた、責任者を出せ」と鬼の形相で捲し立てる妻を宥め、まあまあ、後から変えられるみたいだし、と何故かぼくが説得し、名前をその場で考えることになったのだった。ぼくは台湾に来てから英語名をカイル(Kyle)と名乗っていたので、妻が名前についてはそれを漢字にすればいいと言った。姓は妻のものを使うか、違うものにするか悩んだが、ぼくの日本名に「康」という字があるのに目をつけた係員が「これでいいじゃない、『康』凱爾。カッコいいわよ」とまるでペットの名前でも考えるかのようにしてくれたアドバイスに従うことにした。結局3分くらいであっさりと決まったぼくの名前は、妻に心配されながらもそのまま戸籍に登録されることになり、ぼくはその日から「康凱爾」として生きることになった。

名前は何かと聞かれると少し困ってしまう。「康凱爾」は台湾で法的に有効な名前だとは言っても、誰かがぼくのために何らかの願いを込めてつけてくれた名前ではないし、そこに何か意味があるわけでもない。要するに便宜上の記号だ。最初はもちろん名乗るたびに違和感があったし、何故日本名が使えないのかという怒りさえ覚えていた。ところが不思議なもので、何年もこの記号をあらゆるところにサインしていると、段々とある種の愛着とアイデンティティを感じるようになってくるのだ。先日大学時代の恩師に久しぶりに手紙を書いた時、その最後にも誇らしげに康凱爾と署名して郵送した。パスポート上の名前は紛れもないぼくが父母からもらった「本名」だが、台湾社会ではその人物は存在しない。康凱爾もまた、ぼくが現在進行形で歩む人生の主役としてここにいるが、日本には存在しない。日本のぼくと台湾のぼく、そこに主従関係はない。そう考えると人と名前の関係というのは案外しっかりと固着したものというわけではなく、状況によって相対的に色が濃くなったり薄くなったりするものなのかもしれない。

数年前內湖にあるデザインスタジオに勤務していた頃、同僚に二人のゾーイ(Zoe)と名乗る女性がいた。二人は年齢差があったため、社内では「大ゾーイ」「小ゾーイ」と呼んで区別していたが、そのうち小ゾーイが紛らわしいからと、ある日突然クロエ(Chloe)と名乗り始めた。ぼくはそもそも自分のことをどう呼んでほしい、と人にお願いすることが少し奇妙な気がしてしまうので、それを聞いた時そういうのもアリなのかと驚いたのだが、周りの台湾人の適応はとにかく早かった。その日から彼女たちを大小付きで呼ぶ声は聞こえなくなったし、彼女がいない場所でも彼女のことをクロエと表現するようになっていたが、ぼくは「でも、彼女はゾーイでしょ?」という気持ちが邪魔をして、結局最後まで急に登場した「クロエ」に馴染むことができなかった。

ぼくは恐らく今後も台湾では康凱爾、あるいはKyleと名乗り続けるはずで、たとえ目の前に同じ名前を名乗る人物が現れても、それは変わらないだろう。ぼくに名前が二つあるとはいっても、それは別々のコンテクストにおいて使い分けているだけであって、それぞれの文脈において名前はぼくのアイデンティティと密接に結合しており、それは時にぼく自身にぼくが何者であるかを教えてくれるものだからだ。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』も、名前の一部を奪われることで自分が何者であったかを忘れてしまった千尋や白龍がそれを取り戻していく物語だったように、名前とアイデンティティを強く結びつける感性は日本に普遍的なものなのである。

翻って考えてみると、現代の台湾社会において名前の特別性は、日本のそれほど厳然としたものではないように感じる。漢民族にはかつて「字(あざな)」のように名を尊いものとして秘匿し特別視する習慣があったものの、近代化の過程で姓と名からなる「本名」を名乗るようになったのは台湾も同じだ。その本名にしても、算命に基づいて画数が良い名前を機械的につけられた特に意味のないものも多い。言ってみれば、本名自体が願いの込められた言霊というよりは、縁起の良い記号のようなものなのである。だから運勢が悪いと思えば、カバンにぶら下げるお守りを変えるような感覚で、台湾人はあっさりと名前を変える。実際に台湾の姓名條例で個人的な理由からの改名が3回まで認められている(かつては2回までだったが、数年前に回数が増えた)ように、名前は両親からもらった侵すべからざる神聖なものだという日本的な意識は薄く、必然的に名前と自己の間に働く力も弱くなるのだろう。

ところで現代の台湾人の多くは英語名を持っているが、法的にそういう制度があるわけではない。英語名は社会活動を円滑にするためのニックネームのようなものだが、日本の「あだ名」「ニックネーム」よりは社会的に意味のあるものとして定着している。名刺にも書くし、オフィシャルな場でも使うし、自称もするのが英語名だ。あだ名と違う点がもう一つあるとすれば、あだ名が外見的・行動的特徴などに基づき受動的に付けられることが多いのに対して、英語名は本人が能動的に付けるもので、しかもクロエの例のように、任意のタイミングで「取り替え」が効くことだろう。英語名の由来は人それぞれだが、クロエの場合は女優クロエ・グレース・モレッツから拝借したとのことだったし、『ストリートファイター2』が大好きだからという理由でブランカ(Blanka)と名乗っている知人もいる。本名にしろ英語名にしろ、台湾人の名前は、気分によって伸ばしたり短くしたり染めたり元に戻したりできる髪の毛のように、自己表現の手段としても機能しているのだ。

「人を縛る、この世で最も短い呪は名前である」とは夢枕獏の『陰陽師』の中で安倍晴明が呟いた一言だが、まさしくその言葉通り、日本人であるぼくは第三者による何らかの意図を含んだ一定不変の名前を楔として、何者であるかということに縛られ続ける。それに少し息苦しくなった日には、気楽に付け替えのできるファッションとしての名前を纏う台湾人が身軽そうに行き交う街中で、あの日適当に考えた名前をぶら下げて、ぎこちない足取りでその軽やかなステップを真似してみるのである。